仙台高等裁判所秋田支部 昭和47年(行ス)1号 決定
抗告人
秋田市選挙管理委員会
右代表者
加藤克雄
右代理人
萩原博司
同
伊藤彦造
右参加人
樫尾直次郎
外二名
右三名代理人
西岡光子
同
深井昭二
同
加賀谷殷
同
金野繁
同
金野和子
同
沼田敏明
相手方
萩原麟次郎
右代理人
柴田久雄
同
竹島四郎
主文
原決定主文第一項を取消す。
右取消部分の相手方の申立を棄却する。
手続費用は第一、二審とも相手方の負担とする。
理由
抗告人の抗告の趣は「原決定主文第一項を取消す。相手方の申立を棄却する。手続費用は第一、二審とも相手方の負担とする。」との裁判を求めるにある。抗告人の主張の要旨は別紙(一)記載のとおりであり、参加人らの主張の要旨は別紙(二)記載のとおりである。
相手方の答弁は「本件抗告を棄却する。抗告費用は抗告人の負担とする。」との裁判を求めるにあり、その主張の要旨は別紙(三)記載のとおりである。
一よつて考えるに、疎明資料によれば、相手方が本件の本案訴訟において、抗告人のなした異議決定(受付第一四号、第一六号につき各一通)の取消を求め、個々の署名の有無効についての個々の異議決定とは別個の包括的な二個の決定としてこれを訴訟の対象としていることがうかがわれるところ、このような形で包括的な決定自体の取消を求め得るか否かは問題の余地があるけれども、相手方において個々の署名の無効の確定をも求めていることは記録上明らかであるから、右の点は暫くおき、まず事実関係を検討する。
二疎明資料によれば、次の事実が疎明される。
(一) 参加人三名において昭和四七年七月六日、秋田市長の職にある相手方の解職を請求する者の代表者として抗告人に請求者の署名簿一万六、八一八冊(署名総数八万三、七五二)を提出し、署名押印者が選挙人名簿に登載された者であることの証明を求めたことから、抗告人において審査の上、同年八月二二日右署名中六万七、七九〇を有効、一万五九六二を無効と決定し、翌二三日以降同月二九日まで署名簿を関係人の縦覧に供した。なお解職請求に要する地方自治法第八一条所定の数は五万四、三二八であつた。
(二) 相手方は同月二九日抗告人に対し、右有効と決せられた署名中合計三万八、八九六が無効であるとして二件(受付第一四号、第一六号)の異議申出をした。相手方の主張する無効原因および内訳数は左のとおりであつた。
(1) 第一四号関係。
(イ) 本人の自署によるものでなく他人の代筆または偽筆による署名二万一、八二九。
(ロ) 拇印、指印が署名者本人のものでなく、署名そのものも他人による代筆または偽筆である署名四、六一九。
(ハ) 署名者の印として確認し難い署名四三。
(ニ) 署名者の印でない署名二。
(ホ) 本人の自署による署名でなく受任者の代筆による署名二、二三二。
(ヘ) 何人による署名であるか確認し難い署名四。
(ト) 署名が重複して記載されている署名五。
(チ) 請求代表者または委任を受けた者以外の者が収集した署名および回覧によつて収集した署名一万〇、一三五(署名簿冊数二、〇七四)。
(リ) 請求代表者証明書および委任状に請求代表者または委任者の印がない署名簿一冊の署名二。
2第一六号関係。
(ヌ) 本人の自署でなく受任者の代筆である署名一六。
(ル) 受任者と思われる男二人に強要されて押印だけしたが自署しなかつた署名一。
(ヲ) 本人が署名したおぼえのない署名一。
(ワ) 本人の自署でなく同一家族の一人が代筆した署名七。
(三) そこで抗告人において同年九月六日の委員会で方針等を協議の結果、異議のある署名のうち具体的事実の付記されていないものにつき相手方を召喚して事実関係を明らかにさせることを予定し、前記無効原因および内訳の(イ)(ロ)については更に署名を個々に調査することもあり得ることを確認し、(ハ)(ニ)(ヘ)(ト)(リ)については対象人員が少いことから次回の委員会で決定する予定とし、(ホ)(チ)については更に検討することとし、(ヌ)については異議申出書に無効原因に加えて、本人の証言がある旨付記されていることから、署名者および受任者を召喚して証言を得るため、その日取を次回の委員会できめることとし、(ル)については異議の原因自体が本人以外の者の主張できることでないとして、異議を失当と決し、(ヲ)については本人を召喚すべきものとし、(ワ)のうちの五人分については署名簿に署名がないことから、相手方を召喚した際に説明を求めることとした。
(四) 抗告人は同月一四日の委員会で前記方針に基づき、(ヌ)(ヲ)および(ワ)のうち前記以外の二人分の関係の証人約二〇名を同月二一日の委員会に、(チ)については異議申出書に理由の事実関係の記載のある分との関係で証人一七名を同月二二日の委員会に、それぞれ召喚することとし、また前記予定のとおり(ハ)(ニ)(ヘ)(ト)(リ)について審査した上、(ハ)のうち一四、(ニ)のうち一、(ト)のうち三、(リ)の二、以上合計二〇の署名につき異議を正当と認めてこれを無効とし、その余の異議を棄却することに決した。
抗告人は右一四日、右審査に先立つて前記の予定に基づき相手方を召喚して、異議事由の具体的付記のない分(イ)(ロ)(ホ)(チ)((チ)については二〇を除く)について具体的根拠の説明を求めたところ、結局において、相手方の支持者達が署名簿を縦覧して判断したことをそのまま異議理由としたもので、相手方自身は具体的根拠がわからないとの陳述であり、また(ワ)のうち署名自体のない五人分については、何かの間違いだと思うとの陳述であつた。
なおその際相手方は、具体的な点は補佐人を許可してもらつて明らかにしたい旨申し立てて容れられないままに終つたが、相手方は補佐人となつてもらう予定であつた弁護士を通じて、後記本案訴訟の同年一〇月一八日の第二回口頭弁論期日に、(イ)の異議理由につき、他人の代筆と偽筆との区別は不可能であり、結局自署でないという趣旨である旨、(チ)のうち前記一部分を除くその余につき、請求代表者または委任を受けた者以外の者が求めた署名と回覧によつて収集した署名との区別はできず、結局そのいずれかであるとの趣旨である旨を明らかにした。
(五) 抗告人は同月二一、二二日の委員会に(チ)のうち具体的事実の付記のある二〇の署名との関係で受任者、署名者および受任者に代つて署名を収集したと相手方の主張する者の合計一九名に出頭を求め、受任者一名、署名者八名の出頭を得て尋問し、不出頭の署名者中二名に電話で照会して、結局前記事実関係の記載のある分すべてを審査し、そのうち一個の署名を無効とし、その余は異議理由なしと決し、また(ヌ)(ヲ)および(ワ)のうち署名のないものを除くその余の二の合計一九の署名の関係で、受任者一二名、署名者一八名に出頭を求め、受任者一〇名、署名者九名の出頭を得て尋問し、不出頭の受任者中一名、署名者中六名に電話で照会し、これによつて右一九の署名の審査をなし、(ヌ)(ワ)のうち各一、(ヲ)の一、の計三個の署名を無効とし、その余は異議理由なしと決した。
(六) この間にあつて、同年九月七日頃以降右二一、二二日の委員会の直前頃に至る間抗告人の事務局長の命により、局員において相手方の異議申出書別冊記載の署名に対応する署名簿につき同一筆跡等自署の事実の疑われるものの有無を点検することとし、この作業を右別冊合計人数の約三分の一程度まで行なつたが、右の疑いをいだかせるものが見当らず、この事実が事務局長および委員に報告された。抗告人においては右二二日の委員会で、前記(イ)(ロ)(ホ)および(チ)のうち具体的事実の付記のない分については、右点検作業の結果および相手方の前記出頭した際の陳述内容ならびに署名簿縦覧期間中に相手方の支持者の動員した多数の縦覧者によつて書写された大量の署名が異議の対象とされ、しかも具体的な事由が明らかにされないこと等の事情を総合し、すでに当初署名簿の提出を受けて効力決定をした際に慎重に検討しておいたという自信のあつたこととも考えあわせて、これらの異議申出分は根拠の乏しいもので右三分の一をこえて更に署名簿に直接当つて点検するまでもなく無効の疑いのあるものはないとの判断に達し、前記二二日の委員会で相手方のこれらの異議を理由なしと決した。
(七) 以上の経過ののち抗告人において同年九月二五日、異議第一四号の関係では、前記(四)第一段判示の二〇および(五)判示の一、合計二一個の署名についての異議を認容してこれらの署名を無効とし、その余の署名についての異議を棄却し、異議第一六号の関係では、前記(五)判示の三個の署名についての異議を認容してこれらの署名を無効とし、その余の署名についての異議を棄却するとの決定をした。
なお抗告人は、前記(ワ)のうち署名自体のない五人分の異議については、相手方の委員会における陳述の趣旨が異議の申出をしないことにあるとの解釈に立つて決定をしないままであつたところ、後記本案訴訟の同年一〇月二八日の第四回口頭弁論期日に相手方からこの点を指摘されたのち、同年一一月七日付で、右五人分については相手方から何かの間違いである旨の申立があつたので異議の申出はなかつたものとみなし特に判断を示さない、とする更正決定をなした。(ル)については同様の経過で、前記(三)の理由に基づき右更正決定によつて異議棄却の扱いがなされた。
(八) 相手方は同年一〇月二日抗告人を被告として原裁判所に、抗告人のなした前記各異議棄却決定の取消と、前記無効原因(イ)の二万一、八二九、(ロ)の四六一九、(ハ)のうち三一、(ニ)のうち一、(ホ)の二二三二、(ヘ)の四、(チ)の一万〇一三五、の各署名の無効確認とを求める趣旨の訴訟を提起し、原裁判所同年(行ウ)第四号事件として係属し、本件抗告事件の本案訴訟事件として審理中である。抗告人は同年一〇月三〇日、相手方の解職賛否投票の期日を同年一一月一九日とする旨を告示した。
疎乙第一三号証および千田明審尋の結果中右(六)の認定に反する部分はいずれもたやすく措信できず、他に右疎明を左右するに足る資料はない。
三以上の事実関係に基づき、被告人が相手方の異議につき適法に審査をなしたといえるか否かを考える。
(一) 異議第一四号(ハ)(ニ)(ヘ)(ト)(リ)および(チ)のうち二〇の署名については、審査手続が適法であつたといえること前記事実によつて明かである。
(二) 同号(イ)(ロ)(ホ)および(チ)のうち右二〇を除くその余の署名について。
抗告人の事務局員においては、前記一連の手続の諸情況下に右異議ある署名簿に当つて点検し、その結果の報告に基づき抗告人において判断決定したものであるから、この分の審査手続は適法であつたということができる(但し後記(六)の重複分を除く)。
この中に多くとも一〇パーセントに達することはない程度の同一筆跡と疑われる署名の存することは疎明資料によつて疎明されるところであるが、右事務局員がこれを見落し、また抗告人がこれをも有効と判断したからといつて、直ちに実質的審査がなかつたに等しいとし或いは審査手続自体が違法であつたとすることはできない。右事務局員の点検作業の行われている間乃至はその結果が抗告人に報告されるまでの間の昭和四七年九月一四日、相手方において委員会に召喚された際、これらの署名の異議事由について具体的根拠の説明ができず、支持者らの判断に従つたのみである旨を陳述したこと前記のとおりであり、また疎明資料によれば、右支持者らにおいては、署名簿の縦覧期間中連日のように七〇名前後の多人数で、署名簿の中から疑問とする署名を統制もなく書取つて持帰り、その大多数について十分な検討整理もしないまま異議の対象としたこと、相手方においてはこれらの署名につき右支持者らのいうところに従うのみで、それ以上には偽筆、代筆等の具体的事情を把握せず、重複する署名の分の整理すらもしないまま異議申出におよんだこと、右重複分は、相手方の異議申立後本案訴訟提起を経て本件停止決定を申立てるに至るまでの間に明かとなつただけでも、約三、〇〇〇におよんだこと、右縦覧書取の模様およびかなりの重複のある事実が、縦覧期間中から審査終了までの間に右事務局員、局長、委員らの知るところとなつたことが疎明される。
また相手方においてその後本案訴訟の段階に至つても異議の具体的事実関係を明らかにし得なかつたこと前記のとおりである。これらの点と、他の具体的事実の付記ある異議申出分については抗告人において前記のとおり現に本人或いは受任者等に当つて審査をしており、これについて何等予断を以て事に当り或いは故意に粗略な方法をとつたとうかがうに足る資料のないことをあわせ考えれば、右約三分の一について更に点検を繰返し或いは他の方法で調査することまでしなかつたからといつて、その審査の手続に違法を来すものとすることはできない。
残る約三分の二については、以上にのべた縦覧期間中より異議申出に至る間の事情、相手方の異議事由に具体性のないこと、審査手続中に明かとなつた相手方の異議の根拠の薄弱さ、その後判明した異議の重複数、署名簿にないものについての異議さえあつたこと、相手方が本案訴訟に至つても偽筆分と代筆分との区分も無権限者の収集分と回覧によるものとの区分もできなかつたこと、具体的事実の付記あるものについてさえ、審査の結果異議の理由ありと認められたのは四分の一程度であつたこと等の事情に照せば、抗告人において右約三分の二について異議が根拠に乏しいものと判断したことには合理的理由があり、抗告人が前記約三分の一について自署の事実を疑わせるものの見当らなかつたことおよび当初の効力決定の際に慎重に検討してあつたこととあわせて、残る右約三分の二については引続き個々の署名に当つて点検そのものをするまでもなく異議理由がないと決したことは、右約三分の二についても署名の効力の審査をしたものというに妨げない。右署名の中に多くとも一〇パーセントに達することはない程度の同一筆跡と疑われる署名のあることは、前記約三分の一についてと同様疎明資料によつて疎明されるけれども、抗告人が右審査によつてこれをも有効と判断したからといつて、以上の事実関係に照らせば実質審理がなかつた或いはそれにひとしいとし、また審査手続に違法があるものとすることはできない(後記(六)の重複分を除く)。
もとより右約三分の一および三分の二について抗告人のなした審査の内容は精密であつたということはできず、またその結果に一部誤りのあることは前記事実によつて明らかであり、これに対して選挙管理委員会として一層誤りを少くするため適切な手続方法をとりえなかつたかについては疑問の余地がある。ただ本件における特異な事情、すなわち、三万九〇〇〇に近い多数の異議の殆どが具体的裏付の摘示なしに提出され、多数の重複もある等の異議申出の粗略さ、またこの粗略さが審査の間に相手方自身の口からさえ明らかになり、その後本案訴訟で一層明らかになつたこと、抗告人が相手方の異議全体の審理に法定期間一四日に倍する日数をかけて検討したこと等、本件の特殊性に照して、これらの審査の手続自体を違法と評価することはできない。
(三) 異議第一六号(ヌ)(ヲ)および(ワ)のうち署名自体のあるものについて、審査手続が適法であつたといえること前記事実によつて明らかである。
(四) 同号(ワ)のうち署名のない五人分については、抗告人において相手方から異議申出の取下書を徴しないまま、異議の申出がなかつたとみなす扱いをしたこと前記事実によつて明らかであるから、この取扱いは違法というべきである。
(五) 同号(ル)については、異議理由は本人の自署でないことおよび強要による押印の事実にあるのであるから、押印の点については本人以外の者である相手方からは異議申出が許されないにしても、自署の点につき審査して理由があれば、それだけでこの署名は無効とすべきものであり、抗告人のなした前記決定は違法というべきである。
(六) なお、相手方の異議申出にかなりの重複のあつたこと前記のとおりであり、抗告人がこの重複異議をすべて異議理由なしとして棄却したことは疎明資料によつて疎明されるところであるから、これら重複分の棄却決定中、署名ごとに各一個を除くその余に関する決定には、却下すべきものを誤つて棄却した違法がある。
以上によれば、相手方の異議申出を棄却した抗告人の決定中、右(五)に関する決定および(六)の署名ごとに各一個を除くその余に関する決定は手続に違法がある。また右(四)については異議決定がなされなかつたものである。
四、次に、異議審査手続が違法な場合の処置について考える。
本件訴訟が地方自治法第七四条の二第八項に基づく訴訟であることは記録上明かである。同法第一三項は、右訴訟に行政事件訴訟中抗告訴訟に関する規定の準用されることを前提として、同法第一三条を準用しないことおよび第一六乃至第一九条は署名簿の署名の効力を争う数個の請求に関してのみ準用する旨を定めるが、この定めは、右訴訟の目的とするところとの関係で訴訟を可及的迅速且つ円滑に処理できるよう、行政事件訴訟法の施行に伴い、同法中の準用される手続規定を整理したもので、この定めがなされたことによつて右訴訟が個々の署名の効力の確定を目的とするものであることに変動を来すものではないと解される。この意味において、右訴訟の目的自体からいえば、個々の署名についての異議決定を取消す裁判は、当該署名の有無効についての裁判所の判断と選挙管理委員会の判断とが牴触することを根拠に、その限りでこれをなす意義のあるものであり、このことと、地方自治法第二五七条第二項が、右第五項の決定がなくその取消の問題の起り得ない場合についても、署名の効力を確定する訴訟を提起できることを定めていることをあわせ考えれば、右牴触のない場合に、異議決定の手続自体の瑕疵を理由にこれを取消すという通常の抗告訴訟におけると同様の裁判をすることは、この訴訟の目的自体からは導き出せないものと解される。
しかしながら右第一三項の、行政事件訴訟法第四三条の規定にかかわらず、との定めは、右訴訟が同法第四三条第一項にいう「裁決の取消を求めるもの」として提起されることを前提とするものと解される。蓋し、この定めは右訴訟が同条第二項にいう無効確認訴訟であることを前提とするものとは解されず、またこれを右訴訟が同条第三項にいう「前二項に規定する訴訟以外のもの」であることを前提とするものと解するときは、右第八項による訴訟を当事者訴訟に準じて取扱うべきこととなつて妥当でないからである。
これらの点をあわせ考えれば、法は右第五項の決定は不服ある者に、右第八項による訴訟を個々の署名の効力の確定を目的とする異議決定取消訴訟として提起することを容認するものと解すべきである。ただ、右訴訟はこの決定の取消自体を目的とするものでなく、その取消のみによつては目的を達することができないものであるから、決定手続固有の瑕疵によつてこれを取消す場合でも、通常の抗告訴訟におけるとは異なり、右取消にとどめて再度の決定に委ね或いは更に再度の訴訟提起の余地を残すという迂遠な方法をとることなく、取消された決定の対象である個々の署名につき、直ちにその有無効を判決で確定すべきものと解される。
もつとも、このように解するときは、選挙管理委員会の異議審査手続に瑕疵があつても、これを理由として右委員会の審査を受け直すことはできないこととなるので、異議申出人が右委員会の適法な手続による審査を受ける権利ないし利益が害され、いわゆる「手続における正義」に反し、法の趣旨にもとるのではないかとの疑問を生じないでもない。
しかしながら、前記第八項の訴は、個々の署名の効力を確定することを目的とする訴訟であつて、選挙管理委員会のなした前記第五項の決定の取消自体をその目的とするものでないこと前叙のとおりであるのみならず、法は、直接請求の制度の趣旨を貫徹するため、異議申出やその審査の期間(地方自治法第七四条の二第四、第五項)および争訟の管理期間(同条第一一項)を制限し、控訴権を否定する(同条第八項)などの異例の規定を設けて、署名簿の署名の効力をできる限り迅速に確定させようとしているのであつて、これらの規定の趣旨に鑑みれば、法は、署名の有無効の判断とは無関係に、署名に関する異議審査手続における異議申出人の前述の権利ないし利益を保障することのみを目的として、該手続の瑕疵を理由に右委員会に再審査させることを予定していると解することは困難である(右委員会に再審査させることにより署名の効力の確定の迅速性が著しく害されることは多言を要しないであろう。)。のみならず、前記第二五七条第二項は、右委員会の異議決定が前記第五項所定の一四日以内になされない場合について、異議申出人が右決定を経ることなく訴訟を提起できる旨を定めるところ、この定めのあることは、署名の効力につき裁判所の判断を受けようとする者にとつて右委員会の審査を受ける利益を放棄するほかない場合のあることを法が予定し、そのような場合でもこの者が裁判所の右判断を受け得る以上はその本質的利益の保護に欠けるところはなく、やむをえないとの前提に立つていることを意味するものというべく、反面、この者が右利益を放棄して訴訟を提起したうえで右審査を受けていないことを主張した場合につき、右審査を受けさせることを定めた規定はない。このことは、異議申出人が単に一四日を経過したとの理由だけで直ちに右利益を放棄して出訴した場合であろうと、更に長期間を経ても決定がなされないためやむなく放棄に追込まれた場合であろうと、異なるところはない。このようにして、法の定めるところは、右委員会の審査を受けた異議申出人である相手方のような場合についても、その者が訴訟を提起し、署名の有無効を直接明かにする判決を受けられる立場にある以上は、その者に右委員会による審査のやり直しを受けさせる実質的な利益を認めない趣旨と解すべきである。以上の諸点をあわせ考えれば、法が異議申出人に署名の有無効の判断とは別に、手続の瑕疵を理由として右委員会の再審査を受ける権利ないし利益を保障していると解することはできないから、前記のように解しても、これを以て「手続における正義」に反し、法の趣旨にもとるものということはできない。
五以上の判断に基づき、抗告人の審査手続の違法によつて異議決定の取消されるべき関係にある前記三の末段に示した署名を含めて、参加人らが抗告人に提出した署名簿の全署名のうち、抗告人が相手方その他からの異議申出を審査したことによつて変動したのちに有効と決せられて残る六万七、七七六の署名につき、その有効数を検討する。
疎明資料によれば、相手方において異議のある署名中、相互に同一筆跡である疑いがあつてそのうち一個を除くその余につき自署であることが疑われる署名が、右一個をすべて算入して一〇パーセントに達することはない程度存在し、且つこれが一〇パーセントをこえることはないことが疎明される。相手方が当審で提出した疎甲第一一号証の一乃至九二二はいずれもたやすく措信できず、他に右疎明を左右するに足る証拠はない。
本件において地方自治法第八一条所定の三分の一の数が五万四、三二八であることは前記のとおりである。右疎明された事実によれば、参加人らが抗告人に提出した署名簿の全署名中の有効署名数が、右法定数を優にこえることが明かである。他に有効署名数が法定数をこえない可能性を疎明するに足る資料はない。
六よつて、相手方の各異議申立につき抗告人が昭和四七年九月二五日になした各異議棄却決定に基づく手続の続行の停止を求める相手方の申立は、本案について理由がないとみえるときに該当するものとして、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、これを容れた原決定部分に対する本件抗告は理由があるので原決定主文第一項を取消し、相手方の申立を棄却することとし、申立費用につき民事訴訟法第八九条第九六条を適用して主文のとおり決定する。
(太中茂 松岡登 横畠典夫)
〈原審決定〉
(秋田地裁昭和四七年(行ク)第四号、行政処分執行停止決定申請事件、同四七年一一月一三日民事第二部決定)
【決定要旨】一、地方自治法七四条の二第八項の訴えは、市町村選挙管理委員会の異議決定の取消しを求める形式をとるべきものである。
二、署名の効力に関する異議決定手続において実質的審理がまつたくないかないに等しい場合には、裁判所は、右訴訟において、そのことを違法事由として異議決定を取り消し、市町村選挙管理委員会に署名の効力について改めて実質的審査を尽させるべきである。
三、異議ある署名の三分の一について署名簿に目を通しただけで、しかも同一筆跡の署名があるのにこれを見落して、同一筆跡と認められる署名はないとした審理手続は、実質的審理をしなかつたに等しいもので違法である。
申立人
荻原麟次郎
右訴訟代理人
竹島四郎
同
柴田久雄
被申立人
秋田市選挙管理委員会
右代表者
加藤克雄
右訴訟代理人
萩原博司
同
伊藤彦造
参加申立人
樫尾直次郎
外二名
右参加申立人ら訴訟代理人
西岡光子
同
深井昭二
同
金野繁
同
加賀谷殷
同
沼田敏明
同
金野和子
申立人側訴訟代理人
竹島四郎
柴田久雄
被申立人側訴訟代理人
萩原博司
伊藤彦造,西岡光子,深井昭二,金野繁,加賀谷殷,沼田敏明,金野和子
主文
1 秋田市長解職請求者署名簿の署名に関する申立人からの各異議申出(受付第一四号、同第一六号)につき被申立人が昭和四七年九月二五日にした各異議棄却決定に基づく手続の続行は、当裁判所昭和四七年(行ウ)第四号市長解職請求者署名簿の署名に関する決定取消等請求事件の判決確定に至るまで停止する。
2 本件その余の申立てを棄却する。
3 手続費用は被申立人および参加申立人らの負担とする。
理由
第一申立ての趣旨および理由
申立ての趣旨および理由の要旨は、別紙一記載のとおりである。
第二被申立人の意見
被申立人の意見の要旨は、別紙二記載のとおりである。
第三参加申立人らの意見
参加申立人らの意見の要旨は、別紙三記載のとおりである。
第四当裁判所の判断
一署名簿の署名の効力に関する訴訟において選挙管理委員会の異議決定の取消しを求めることができるか
地方自治法(以下「地自法」という。)によれば、普通地方公共団体の長である市町村長の解職請求者の署名簿の署名の効力に関し異議のある者は右署名簿の縦覧期間内に当該市町村の選挙管理委員会に対し異議の申出をすることができ、その決定(以下「異議決定」という。)に不服があるときは法定期間内に地方裁判所に出訴することができるものとされている(同法第八一条、 第七四条の二第四項、 第五項、 第八項)。
そして、右署名簿の署名の効力に関する訴訟は、終局的には争いのある個々の署名の効力を確定することを目的とするものであり、かつ、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)にいう民衆訴訟に属するものであるが、その訴訟形式として市町村選挙管理委員会の異議決定の取消し(または無効確認。以下同じ。)を求めるべきか。それとも、端的に署名簿自体あるいは署名簿の署名自体の有効無効の確認を求めるべきかについて問題がないわけではない。しかしながら、行政事件訴訟法の施行に伴う関係法律の整理等に関する法律(昭和三七年法律第一四〇号)によつて追加そう入された地自法第七四条の二第一三項は、署名簿の署名の効力に関する訴訟に行訴法第四三条によつて取消訴訟に関する規定が準用されることを前提としつつ、右第四三条の規定にかかわらず取消訴訟に関する規定中の一部を準用除外または準用制限する旨規定しており、右のような地自法第七四条の二第一三項の規定の趣旨にかんがみれば、少なくとも右条項の追加そう入以後においては署名簿の署名の効力に関する訴訟が取消訴訟の形式をとること、すなわち、市町村選挙管理委員会の異議決定の取消しを求める形式をとることを地自法は当然予定しているものと解するのが相当である。
二異議決定取消訴訟において異議決定手続上のかしを取消原因として主張しうるか
(一) ところで、右のように署名簿の署名の効力に関する訴訟において市町村選挙管理委員会の異議決定の取消しを求めることが許されるとしても、その取消原因としていかなる違法事由を主張しうるかは、さらに問題となる。右の訴訟が終局的には争いのある個々の署名の効力の確定を目的とするものであるところからみて、右争いのある個々の署名の有効無効に関する市町村選挙管理委員会の判断の誤りを取消原因として主張しうることについては問題がないであろう。これに対し、右異議決定手続上のかしを一般の取消訴訟の場合と同様に取消原因として主張しうるか否かは、右訴訟の目的に照らし若干問題である。ことに、そのかしがきわめて軽微であり、争いのある署名の効力の判断に実質的な影響を及ぼすおそれのない場合にはなおさらである。しかしながら、前述のように、地自法は、市町村長の解職請求者の署名に関し異議のある者はまず市町村選挙管理委員会に異議の申出をし、その決定に不服のあるときは地方裁判所に出訴すべき旨規定し、裁判所に出訴する前に選挙管理委員会に異議の申出をしその審理を経ることを要求している。そして、同法がかかる異議前置主義をとつたその趣旨とするところは、市町村長の解職請求者の署名簿の署名の効力は選挙に密接な関係を有するものであるところから、右署名に関する異議についても、まず、選挙に関する事務について専門的な知識ならびに経験を有する市町村選挙管理委員会において訴訟手続に較べれば比較的簡易な手続によつて審理させ、それによつて適正かつ迅速な判断を得ようというにあるものと理解される。したがつて、地自法の異議前置主義に関する右のような立法趣旨に照らすと、市町村選挙管理委員会が多少の手続上のかしはあつても法の定める手続にのつとり異議ある署名の効力について一応実質的審理を尽したといえる場合はさておき、右の実質的審理をまつたくしない場合および多少の審理はなされていてもそれが形のみで実質的審理を尽したとは到底いえないような場合には、地自法の異議前置主義を採用した精神がまつたく没却されることになる。しかも、異議前置主義を採用した地自法の規定(第七四条の二第四項)はその反面として署名簿の署名に関し異議のある関係人に市町村選挙管理委員会への異議申出権を賦与したものであつて、右署名に異議のある関係人は異議のある署名の効力について市町村選挙管理委員会の実質的審理を受ける権利を有するのであるが、前述のように異議のある署名の効力についてまつたく実質的審理がなされなかつたか、あるいは、多少の審理はなされても到底実質的審理を尽したとはいえないような場合には右実質的審理を受ける権利が違法に侵害されたことになる。これらの点を総合して考えれば、右のように異議のある署名の効力についてまつたく実質的審理がなされなかつたか、あるいは、多少の審理はなされても到底実質的審理を尽したとはいえないような場合には、そのこと自体を違法事由として異議決定を取り消し、市町村選挙管理委員会に異議のある署名の効力について改めて実質的審査を尽させることが異議前置主義を採用した地自法の精神に合致するものと解される。
(二) 最高裁判所は、数次にわたつて地自法第七四条の二第八項による署名簿の署名の効力に関する訴訟は争いのある個々の署名の効力を確定することを目的とするものである旨判示しているが、その事案をみればいずれも市町村選挙管理委員会が異議について実質的審理を尽さなかつたことが異議決定の取消原因となるか否かが直接争われたものではないから、本件の先例として適切であるとはいいがたいばかりでなく、前記のように実質的審理がまつたくないか、ないにひとしい場合にそれを違法事由として異議決定を取り消し、市町村選挙管理委員会に改めて異議のある署名の効力について実質的審理を尽させることを禁ずる趣旨のものとは理解できない。
(三) また、地自法第二五七条第二項は、同法の規定による異議の申出に対して法定の期間内に決定がなされないときはその申出をしりぞける旨の決定があつたものとみなすことができる旨規定するが、右規定は異議に対する決定がいたずらに遅延している場合に異議申出人に対し異議決定をまつことなく訴訟に進む道を与えることをそのねらいとするものであつて、行訴法第八条第二項と立法趣旨を同じくするものである。したがつて、異議申出人が市町村選挙管理委員会の実質的審理がまつたくないか、ないにひとしいことを理由に異議決定の取消しを求め、右選挙管理委員会において改めて実質的審理を尽すよう求めている場合には、右地自法第二五七条第二項の規定の適用のないことはその法文上明らかであつて、右規定の存在をもつて前記のように実質的審理がまつたくないか、ないにひとしい場合にもそのことを異議決定の取消原因となしえないとする根拠にすることはできない。
(四) 以上を要するに、市町村選挙管理委員会の異議決定に不服のある異議申出人は、争いのある署名の有効無効に関する市町村選挙管理委員会の判断の誤りを取消原因として主張しうるはもちろん、異議決定手続上のかしも地自法が異議前置主義を採用した趣旨を没却する程度に重大な場合、すなわち、争いのある署名の効力に関する実質的審理がまつたくないか、ないにひとしい場合には異議決定の取消原因として主張することが許されるものと解するのが相当である。
三被申立人のした審理は地自法の要求する実質的審理を一応尽したものといえるか
(一) 一件疎明資料によれば、
(1) 参加申立人ら三名が本件申立人である秋田市長荻原麟次郎の解職請求代表者として昭和四七年七月六日被申立人に対し右解職請求者の署名簿一六、八一八冊(署名総数八三、七五二)を提出したこと、
(2) 被申立人が右署名につき所要の審査をしたうえ同年八月二二日右署名中法定署名数五四、三二八を上回る六七、七九〇の署名を有効とし、一五、九六二の署名を無効と決定し、翌二三日から二九日までの七日間右署名簿を関係人の縦覧に供したこと、
(3) 申立人が同月二九日被申立人に対し被申立人が有効とした署名のうち合計三八、八七一の署名が無効であるとして二件の異議申出をし、第一四号および第一六号(以下「異議第一四号」、「異議第一六号」という。)として受け付けられたこと、
(4) 申立人が無効と主張する署名の無効原因(以下「無効原因(イ)、(ロ)……」という。)とその内訳数は、異議第一四号関係では、(イ)本人の自署によるものでなく他人の代筆または偽筆による署名二一、八二九、(ロ)拇印・指印が署名者本人のものでなく署名そのものも他人の代筆または偽筆による署名四、六一九、(ハ)署名者の印として確認しがたい署名四三、(ニ)署名者の印でない署名二、(ホ)本人の自署による署名でなく受任者の代筆による署名二、二三二、(ヘ)何人による署名であるか確認しがたい署名四、(ト)署名が重複して記載されている署名五、(チ)請求代表者またはその委任を受けた者以外の者が収集した署名および回覧によつて収集した署名一〇、一三五(その署名簿冊数二、〇七四)、(リ)署名収集委任状に委任者である解職請求代表者の印のない署名簿一(その署名数二)であり、異議第一六号関係では、(ヌ)本人の自署による署名でなく受任者の代筆による署名一六(ル)受任者と思われる男二人から強要されて印のみ押したが本人が自署したことのない署名一、(ヲ)本人が署名した覚えのない署名一、(ワ)本人の自署による署名でなく同一家族の一人が代筆した署名七であること、
(5) 右異議の申出を受けた被申立人は同年九月六日委員会を開催し、右異議についての今後の審議方針として、(イ)異議申出人である本件申立人を証人として出頭を求め、異議申出の根拠について尋問すること、(ロ)異議第一四号関係では(A)前記無効原因(イ)の署名二一、八二九および同(ロ)の署名四、六一九についてはさらに署名を個々に調査することもありうる、(B)無効原因(ハ)の署名四三、同(ニ)の署名二、同(ヘ)の署名四、同(ト)の署名五および同(リ)の署名簿一についてはいずれも対象人員が少ないので次回の委員会で決定する、(C)無効原因(ホ)の署名二、二三二および同(チ)の署名一〇、一三五についてはさらに検討を加える必要があること、(ハ)異議第一六号関係では、(A)前記無効原因(ヌ)の署名一六については無効の原因としてさらに署名者本人の証言がある旨付記されているので、署名者および受任者の出頭を求めその証言を得る必要があり、次回の委員会において出頭を求める日時を決定する、(B)無効原因(ル)の署名一についてはその無効原因とするところが署名者のみの主張しうる性質のものであるからこれについての異議申出は失当である、(C)無効原因(ヲ)の署名一については署名者本人を証人として召喚すべきである。(D)無効原因(ワ)の署名中五つの署名については署名簿中に該当署名が見当たらないので異議申出人からの説明を求めること、をそれぞれ決定したこと、
(6) 右の審議方針に基づき、被申立人は、異議第一四号関係の無効原因(ハ)、(ニ)、(ヘ)、(ト)および(リ)の署名についてはいずれも署名簿について異議の理由の有無について調査し、同月一四日の委員会において右無効原因(ハ)の署名四三のうち一四、同(ニ)の署名二のうち一、同(ト)の署名五のうち三および同(リ)の署名二全部についてはいずれも異議を理由あるものと認め、その余の署名については異議を棄却すべきものとしたこと、
(7) 被申立人は、また、右の委員会において、異議申出人である本件申出人から異議申出の根拠について証言を求め、これに対し、本件申立人は、署名の無効原因として主張している事由すなわち署名が代筆または偽筆であるとか拇印指印が署名者本人のものでないとかは主として申立人の支持者が署名簿を縦覧して判断したことであつてそれ以上に詳しいことは申立人自身は知らないので、補佐人から説明させたい旨証言したこと、なお、申立人からは右証人尋問前被申立人に対し五名の補佐人を付することについて許可申請が出されていたが、被申立人は、右証人尋問に当たつては補佐人を許可せず、後日改めて申立人の出頭を求める場合にその都度許否を決するとの方針のもとに、右証人尋問に際しては補佐人を許可せず、また、その後も補佐人を許可してこれから説明を求めるということをしないまま後述のように申立人からの異議について決定してしまつたこと、
(8) さらに、右の委員会においては、異議第一四号関係および異議第一六号関係で総計約四〇名の証人を同月二一日および二二日の委員会において尋問することが決定され、これに基づき、異議第一四号関係では前記無効原因(チ)の署名中具体的な事実関係の記載のある署名二二について受任者三名、署名者一六名(受任者に代わつて署名を収集したと主張されている者二名を含む。)、異議第一六号関係では無効原因(ヌ)の署名一六、同(ヲ)の署名一および同(ワ)の署名中署名簿に該当署名の発見しえたもの二合計一九について受任者一二名、署名者一八名が証人として召喚され、そのうち異議第一四号関係では受任者一名、署名者八名が、異議第一六号関係では受任者一〇名、署名者九名が同月二一日および二二日の委員会に出頭して証言し、また、不出頭者のうち異議第一四号関係では署名者二名から、異議第一六号関係では受任者一名、署名者六名から被申立人あてに電話連絡があり千田係長が事情聴取を行なつたこと、
(9) 被申立人は、以上の調査のほかは、千田係長に異議第一四号関係の前記無効原因(イ)の署名二一、八二九および同(ホ)の署名二、二三二、合計二四、〇六一の約三分の一程度について署名簿に目を通させたのみで、同一筆跡とみうるものはなく他人の代筆または偽筆とは認められないとして、それ以上の調査をしなかつたこと、
(10) そして、以上の程度の調査に基づき、被申立人は、同月二五日、異議第一四号については二一の署名に対する異議を認容しその余の異議を棄却し、異議第一六号については三つの署名に対する異議を認容しその余の異議を棄却する旨各決定したこと、
(11) そこで、申立人は、同年一〇月二日被申立人を被告として当庁に対し被申立人が同年九月二五日付でした秋田市長解職請求者署名簿に関する申立人からの各異議申立てを棄却する旨の各決定の取消しと被申立人が異議を棄却した署名簿の署名の無効確認を求める訴えを提起し、現在当庁昭和四七年(行ウ)第四号事件として係属中であること、
以上の事実が認められ、疎乙第一三号証の記載中右認定に反する部分は疎甲第一〇号証に照らしにわかに措信しがたい。
(二) そこで、以上の事実に基づき、被申立人のした右各決定中異議を棄却した部分が実質的審理を経てなされたものといいうるかどうかについて、申立人の主張する前記無効原因ごとに検討することとする。
(1) 異議第一四号関係中無効原因(イ)、(ロ)および(ホ)の署名について
これについては、被申立人の昭和四七年九月六日開催の委員会において「さらに署名を個々に調査することもありうる」あるいは「さらに検討を加える必要がある」としながら、その後わずかに千田係長一人が右署名数の約三分の一について署名簿に目を通しただけで、同一筆跡とみうるものはなく他人の代筆または偽筆によるものとは認められないとして、それ以上の調査をしようとせず、異議をすべて棄却している。しかし、一件疎明資料によれば、右署名中にも一見して同一筆跡と認めうるものがその数の多寡は別にしてもある程度存在することが認められるのであつて、これによつて千田係長がしたという右署名簿の調査がいかにずさんなものであつたかがうかがわれる。また、異議決定書(疎甲第二号証の二)によれば、右署名に対する異議棄却の理由として、他人の代筆または偽筆によるものであることを異議事由とする署名については原則として署名者本人が異議申出をなすべきであり、また、他人が代筆または偽筆した署名であるとするならば代筆または偽筆した者がいるはずであるのにその点についての具体的主張がない旨記載されている。しかしながら、署名が他人の代筆または偽筆によるものである旨の異議事由は換言すれば署名が自署によるものではない旨の主張であるから、署名者本人のみならず広くその他の関係人なかんずく被解職請求者からも右の点を異議事由として異議申出をすることが許されるものというべく、前記異議棄却理由中他人の代筆または偽筆によるものであることを異議事由とする署名については原則として署名者本人が異議申出をなすべきであるとの点は異議棄却理由としては失当である。また、一般に異議申出に当たつてはできる限り異議事由を具体的に主張することが望ましいことはいうまでもなく、いやしくももつぱら解職賛否投票を引き延ばす目的のみで具体的な根拠もなしに無差別に異議の申出をすることは許されないのであるがさればといつて異議事由として署名が他人の代筆または偽筆であると主張する場合に常に必ず何人が代筆または偽筆したかを主張しなければ異議事由として不十分であるともいいがたい。ことに、本件の場合、疎明資料(疎甲第五号証、疎乙第六号証)によれば、申立人は署名簿を縦覧した結果その記載自体から明らかに同一筆跡と認められるものがあるのでこれを他人の代筆または偽筆によるものとして異議申出の対象としたものであることが認められるのであるから、異議事由の主張としては一応十分であるというべきである。また、仮に被申立人が異議事由の主張として不十分な点があると考えるならば、申立人は前述のように補佐人に具体的な事情を説明させたいとして補佐人の許可を求めているのであるから、被申立人としては行政不服審査法(以下「行審法」という。) 第二五条所定の手続によつて補佐人を許可しこれから異議事由についてさらに具体的に事情を聴取することもなしえたのであるが、前述のようにそれもしなかつた。これを要すれば、前記異議棄却理由中他人が代筆または偽筆したものであると主張する署名について何人が代筆または偽筆したかの具体的主張がないとの点も異議棄却理由としては失当というべきである。そこでつぎに、右異議申出に対し被申立人がした前述の程度の調査が実質的審理をしたものといいうるかどうかについてみるに、一般に異議に対しどの程度の審理をなすべきかは各異議事由ごとに異議の内容、根拠等に応じて具体的に決すべき問題であるが、本件の場合のように二万をこえる署名について署名簿の記載自体から一見して同一筆跡と認められることを根拠に他人の代筆または偽筆によるものであるとして異議が申し出られている場合には、被申立人としては右異議の対象となつた署名につき常に必ず各署名者を逐一証人として喚問したり筆跡鑑定をしたりする必要はないにしても、少なくとも署名簿によつて各署名を相互に対照しその筆跡・筆勢等から同一筆跡と認められるものがあるか否か程度は調査する必要があるものというべく、この観点からみると、前記のようにわずかに千田係長一人が異議申出のあつた署名の約三分の一について、しかも、数の多寡はともかくある程度に存在する同一筆跡の署名をまつたく見落し同一筆跡と認められる署名はまつたく見当たらないとするずさんな見方で署名簿に目を通したにとどまる調査は、到底法の要求する範囲の実質的審理をしたものとはいえず、むしろ右実質的審理をしなかつたにひとしいものというべきである。
(2) 異議第一四号関係中無効原因(ハ)、(ニ)および(ヘ)の署名について
右各無効原因は、いずれも署名簿に記載された署名あるいは押捺された印影を点検することによつてその理由の有無を判定しうる性質のものであるところ、被申立人は、前認定のとおり右各署名については署名簿によつて異議の理由の有無を調査しているから、その判断の当否はしばらくおくとしても、一応実質的審理をしたものというべきである。
(3) 異議第一四号関係中無効原因(チ)の署名について
これについては、前認定のように被申立人は昭和四七年九月六日の委員会において今後の審議方針について「さらに検討を加える必要がある」と決定しながら、その後具体的な事実関係について記載のある署名二二について受任者三名と署名者一六名を証人として喚問し、出頭した受任者一名と署名者八名を証人として尋問し、また、不出頭の署名者二名から電話で事情を聴取したのみで、その余の署名についてはなんらの調査をしていないのである。そうとすれば、右証人尋問ならびに電話聴取の行なわれた二二の署名については一応実質的審理が行なわれたものというべく、これに対し、右二二を除くその余の署名についてはまつたく実質的審理を行なわなかつたにひとしいものというべきである。
(4) 異議第一六号関係中無効原因(ヌ)、(ヲ)および(ワ)の署名について
異議第一六号関係中無効原因(ヌ)の署名一六、同(ヲ)の署名一および同(ワ)の署名のうち二合計一九については、被申立人は、前認定のとおり、受任者一二名と署名者一八名を証人として喚問し、そのうち出頭した受任者一〇名と署名者九名を証人として尋問し、また、不出頭者のうち受任者一名と署名者六名については電話で事情聴取をしている。したがつて、右一九の署名については一応実質的審理を尽したものということができる。
(なお、付言するに、無効原因(ワ)の署名中右に述べた二つの署名を除くその余の五つの署名については、被申立人はいまだ異議棄却決定をしていないことが疎明資料によつて明らかであり、したがつて、この部分については執行停止の申立てもないものと解されるので、実質的審査がなされたとみうるか否かについてとくに論及しない。)
(5) 異議第一六号関係中無効原因の署名について
これについては、前認定のとおり、被申立人は、署名者本人のみが主張しうる性質の異議事由であるとしてなんらの調査もしなかつた。しかし、この点も前述したところと同様署名が自署であるか否かは署名者本人のみならず広くその他の関係人なかんずく被解職請求者も争いうるものと解すべきであるから、署名者本人しか争いえないとした被申立人の判断は失当であり、したがつて、右署名に対する異議の理由の有無についてなんらの調査をしなかつたことは実質的審理をまつたくしなかつたものといわざるをえない。
(三) 以上のようにみてくると、申立人からの異議につき実質的審理をしたとみうる署名数は異議の申し出られた署名中の一パーセントに満たず、その余の九九パーセントをこえる約三五、〇〇〇の署名については実質的審理を経ることなく異議棄却決定がなされたことになる。
四申立人が異議決定手続上のかしを主張してその取消しを求めることは信義則に反するか
被申立人は、申立人が異議決定手続上のかしもしくは違法として主張するところは、いずれも申立人が無差別大量のずさんな異議申出をしたことに起因するから、仮りに異議決定手続にかしもしくは違法な点があつたとしても、その取消しを求めることは信義則上許されない旨主張する。
なるほど、申立人のした約三八、〇〇〇の署名に対する異議申出中には誤字、脱字等により当該署名の特定に困難なものをはじめとして相当数のすでに無効とされた署名に対する異議申出あるいは同一署名に対する重複した異議申出等のあることは一件記録によつてうかがわれる。したがつて、その意味で異議申出にずさんな点のあつたことは否定しえない。しかし、申立人としては、有効とされた約六八、〇〇〇にのぼる多量の署名をわずか七日間に縦覧し、その間に異議のある署名を抽出して異議申出をすべきことを要求されていたのであるから、そこに多少のずさんなところがあるとしてもやむをえない面もあり、場合によつては補正を命ずることもできないわけでもないのである。また、被申立人が右の無効とされた署名に対する異議申出あるいは同一署名に対する重複した異議申出等を抽出しようとする意思があれば、その作業はそれほど長時日を要しなくとも完了しうるものと思われる。ことに、被申立人は、右異議申出を受けてからこれにつき決定をするまで二七日を要しているのであるから、その間十分に右作業を完了しえたはずである。また、被申立人は異議申出が無差別になされていると主張するが、一応それぞれ異議事由が付されており必ずしも異議として不十分ともいえないのであるから、被申立人としてはそれについて一応調査する義務があるものというべく、なんら調査をしなくてよいとすべき理由はない。もとより、その場合どの程度の調査をすべきかは前述のように異議の内容・根拠等に応じて一様ではなく、常に必ず証人尋問・筆跡鑑定等を要するものではないが、本件の場合被申立人は異議のあつた署名の九九パーセント以上につきまつたく実質的審理をしなかつたかしないとひとしい状況なのである。
以上のような事実関係を前提として考えた場合、申立人が異議決定手続上のかしを主張してその取消しを求めることはにわかに信義則に反するともいいがたい。
五執行停止の可否について
(一) 右にみたように、被申立人は申立人から異議の申出があつた約三五、〇〇〇の署名について実質的審理をすることなく異議を棄却しているから、右異議棄却決定はその点において違法である。もつとも、一件記録によると、申立人は、被申立人がすでに無効と決定した署名について右異議棄却決定の取消しを求め、あるいは、同一署名に対し重複して異議を申し出ており、その数は合わせて数千を数え、場合によつては一万近くになることが予想され、これについて異議棄却決定の取消しを求める部分は不適法といわざるをえない。したがつて、実質的審理を経なかつたことを理由として異議棄却決定を取り消すべき署名の実数は約二五、〇〇〇ということになる。
ところで、地自法および同法施行令によれば、市町村選挙管理委員会は市町村長の解職請求者署名簿の署名に関し異議の申出がないときまたはすべての異議についての決定をしたときはその旨および有効署名の総数を告示するとともに、署名簿を請求代表者に返付するものとし、請求代表者は返付を受けた署名簿の署名の効力の決定に関し不服がないときまたは請求代表者においてした訴訟の判決が確定したときは、その返付を受けた日またはその効力の確定した日から五日以内に市町村長の解職の請求をすることができ、市町村選挙管理委員会は右請求を受たときは直ちに請求の要旨を告示するとともに、右告示の日から六〇日以内に解職賛否の投票を行なわなければならない旨規定されている。したがつて、これによれば、市町村選挙管理委員会がすべての異議について決定することが解職賛否投票に至るその後の一連の手続を進行せしめるための要件とされているものと解するのが相当である。このことは、すべての異議についての決定をしないかぎり、有効署名の総数を確定しえず、これについて告示をしえないことを考えても明らかである。
いま、前記約二五、〇〇〇の署名に関する異議棄却決定が取り消されるということは、法律的には、右署名に関する異議についていまだなんらの決定もなされていない状態に引き戻されることを意味するのである。そしてその結果は、右異議棄却決定に基づき進行したその後の一連の手続は解職賛否投票をも含めてすべて違法のかしを帯びることになるのである。
しかも、被申立人が有効とした署名数は法定署名数を約一三、〇〇〇余上回るのみであるから、右約二五、〇〇〇の署名に関する異議棄却決定が取り消されるときは、有効と確定された署名数は法定署名数を約一一、〇〇〇余下回る結果となり、有効署名数が法定署名数を上回るかどうか確定しないまま手続を進行させたこととなるから、そのかしはきわめて重大なものとして解職賛否投票の効力そのものにも影響するものと考えられる。
(二) そして、右のような状況のもとで、解職賛否投票等一連の手続を一時停止することなく進行させた場合、右投票の結果によつては申立人は一時その職を失うかも知れず、これによつて申立人のこうむる損害は、のちに本案判決により異議棄却決定が取り消されても回復することの困難な損害に当たるものというべきである。
(三)ところで、申立人は、本件各異議棄却決定の効力停止と被申立人が昭和四七年一〇月三〇日にした秋田市長解職賛否投票期日を同年一一月一九日とする旨の告示の効力停止とを求めている。しかし、行訴法第二五条第二項ただし書は、処分の効力の停止は処分の執行または手続の続行の停止によつて目的を達することができる場合にはすることができないと規定している。そして、地自法および同法施行令の規定によれば、前述のように、市町村選挙管理委員会のなす異議についての決定は異議の対象となつた署名の効力を決定するとともに解職賛否投票に至るその後の一連の手続を進行せしめるための要件とされているのである。すなわち、右異議決定のあとには解職賛否投票に至る一連の手続が予定されているのである。そして、市町村選挙管理委員会の異議棄却決定に不服ある被解職請求者としては右決定そのものの効力を停止しなくとも右決定以後の手続の続行を停止することによつて本案判決確定以前に解職賛否投票が行なわれることを防止し、右投票が行なわれることによつてこうむる回復の困難な損害を避けることが可能である。
したがつて、本件申立て中各異議棄却決定の効力停止を求める部分は右決定に基づく手続の続行の停止を求める限度で正当として認容しうるがその余は過大な申立てとして棄却すべく、また、解職賛否投票期日に関する告示の効力停止を求める部分も右各異議棄却決定に基づく手続の続行を停止することによつてすでにその目的を達し重ねて右告示の効力を停止しなければならない必要性は認められないから失当として棄却すべきである。
(四) なお、行訴法第二九条の解釈として、原処分に対する不服申立てを却下または棄却した裁決はなんら積極的内容をもつものではなく、これの執行停止をしてみても原処分に影響はないから、裁決自体の執行停止をする利益はないといわれている。しかし、右の考えは、原処分と裁決との双方につき取消訴訟を提起することができ、原処分につき執行停止を求めうることをその前提としているのである。そして、本件のような地自法第七四条の二第八項による署名簿の署名の効力に関する訴訟において同条第五項の異議決定に対し取消訴訟を提起しうることはすでに前述したが、さらに右異議決定の原処分に相当する同条第一項の決定に対しても取消訴訟を提起しその執行停止を求めうると解しうるかについては、同条の規定ならびに署名簿の署名の効力に関する訴訟の性質に照らし疑問なしとしない。のみならず、前述のように同条第五項による異議決定はそれが異議を認容したものであれ、却下、棄却したものであれ、異議決定があつたことの効果として解職賛否投票に至るその後の一連の手続を進行せしめる効力が付与されているのである。その意味で、右異議の却下、棄却決定は、一般の却下、棄却の裁決と異なり、積極的内容をもつものといえる。そして、異議決定の効果として進行しはじめた解職賛否投票に至る一連の手続の続行を停止することは十分に可能である。したがつて、本件各異議棄却決定の取消しを求めるとともにその手続の続行の停止を求める本件申立てはその利益があるものというべきである。
六むすび
以上の次第であるから、申立人からの本件執行停止の申立ては、主文第一項記載の限度で理由あるものとして認容し、その余は失当として棄却することとし、手続費用については行訴法第七条、民事訴訟法第八九条、 第九二条ただし書、第九三条第一項、第九四条を各適用して、主文のとおり決定する。
(篠原昭雄 篠田省二 石井健吾)
別紙(一)
抗告人において、秋田市長解職請求者署名簿の署名に関する相手方からの異議の申出に伴ない、署名の効力の有無を審査して昭和四七年九月二五日に決定をしたところ、このうち異議申出を棄却した分の殆ど全部について同年一〇月二日相手方から原裁判所に、各棄却決定の取消と各署名の無効確認とを求める訴訟(原裁判所昭和四七年(行ウ)第四号)が提起され、その審理中の同年一〇月三〇日抗告人が同年一一月一九日に市長解職の賛否投票をなす旨告示するや、相手方は即日原裁判所に右各異議棄却決定および告示の効力の停止を求める申立をなし、原裁判所においては同年一一月一三日、右各異議棄却決定に基づく手続の続行を右(行ウ)第四号事件の判決確定に至るまで停止するとの決定(原裁判所同年(行ク)第四号)をした。
しかしながら相手方の停止の申立は棄却されるべきであり、原決定は取消しを免れない。その理由は次のとおりである。
一、原決定には、結局において本案訴訟なくして停止決定をなした違法がある。
すなわち、相手方は抗告人のなした異議決定の固有の瑕疵を主張するところ、この瑕疵は署名の効力を争うための攻撃防禦方法にすぎず、それ自体独立の請求でないこと後記のとおりであり、相手方自ら前記訴訟において、署名の効力と切離した異議決定自体の取消を求めるものではないことを明らかにのべているのであるから、原裁判所が訴訟の対象でない異議決定自体に瑕疵ありとして、これを取消すべきことを前提に本件停止決定をしたのは違法である。
二、原決定には、本件の本案訴訟の性質を誤解し、署名の有無効についての判断をすることなく停止決定をなした違法がある。
相手方の提起した前記訴訟は地方自治法第七四条の二第八項によるものであるが、この訴訟が一旦提起された以上、裁判所は個々の署名の効力について必ず判断をすべきものであるから、本件停止決定に対する判断に際しても、個々の署名の有無効を疎明資料によつて認定すべきで、その結果有効署名数が解職請求に必要とされる法定署名数を下まわる場合でなければ、停止決定をなすべきではない。本件において有効署名数が法定署名数を下まわることはない。
抗告人の右立論の根拠は左のとおりである。
(一) 地方自治法第七四条の二第八項による訴訟は、選挙管理委員会のなした同条第一項の署名の効力決定乃至は証明行為を争うものとして認められたものであつて、同条第五項の異議決定自体を争うためのものではない。
右訴訟を提起するためには、必要的不服申立前置主義によつて、同条第四項の異議申出をなし、第五項の異議決定を経ることとなる関係上、訴訟においては異議決定の取消の形式をかりて個々の署名の有無効の確認を求めてもよく、この形式をかりることなく直接右有無効の確認を求めることもできるが、この形式をかりた訴訟の場合でも、異議決定の取消は署名の効力決定が覆えされる限度でのみなされるものであり、効力決定に対する判断を措いて異議決定自体を取消すような訴訟形態は法の予定しないところである。このことは右第八項の規定の文言と、裁決自体に対する取消訴訟について明定する他の法令の条文、たとえば公職選挙法第二〇三条第二項、 第二〇七条第二項、たばこ専売法第一五条第五項、船舶安全法第一一条、優生保護法第九条の二、土地改良法第八七条第九項、特許法第一七八条第六項、電波法第九六条の二、等の規定との対比によつても明らかである。この意味において、異議決定に固有の瑕疵は署名の効力決定を争うための攻撃防禦方法としての意義を有するにすぎない。
昭和三七年法律第一四〇号によつて地方自治法第七四条の二に第一三項が追加されたけれども、これは異議決定の取消を求める訴訟形態を新設したものではなく、単に署名の効力を可及的速かに確定させる必要から、行政事件訴訟法第四三条の規定にかかわらず、同法中関連請求にかかる訴訟の移送に関する第一三条を排除し、請求の客観的併合、共同訴訟、追加的併合に関する第一六乃至第一九条の規定は署名の効力を争う数個の請求に関してのみ必要であることから、そのためにこれらを準用することとしたものにすぎない。
仮に右第一三項の追加によつて署名に関する訴訟が必ず異議決定の取消訴訟の形式をとらねばならないことになつたものとすれば、署名の効力決定に対する異議申出人以外の関係人からでも提起できる訴訟でありながら、訴訟を提起する者が何故に署名の効力決定を直接に争うことができず、異議申出人の異議に対する決定の取消訴訟の形式をとる必要があるのか、その実質的根拠が見出せないが、このことを暫く措くとしても、右の形式をとらせるのは異議決定の取消という実務上永く行われてきた慣行を立法上是認したにすぎないものというべく、署名の効力決定と切離された新たな訴訟形態を是認した趣旨と解すべきではない。
(二) 原裁判所は、異議に対する実質的審査が全くないか、ないにひとしい場合は法が異議前置主義を採用した精神が没却されるから、抗告人に改めて実質的審査を尽させるべきであるという。抗告人は相手方の異議につき十分実質的審査をなしたものであるが、その点を別としても異議前置主義について異見を有する。
地方自治法第七四条の二第八項は、署名の効力について行われる処分が大量であることから、例外的に異議前置、裁決前置の制度を残存させたものと解されるけれども、行政事件訴訟法第八条第二項は審査請求に対する裁決を経ずに訴訟を提起できる場合を定めており、ことに同項第三号は無意味な行政救済手続を経ることなく直接司法救済を与える趣旨を定めるものである。元来訴願前置は司法救済を受けるための訴訟要件をなすものであるが、裁判所としては、訴訟要件の具備する場合は勿論、その具備するか否かに疑問のある時でも、できうる限り右第三号を活用して司法救済を与えるべきである。現に、適法な審査請求が行政庁によつて却下された場合でさえも、訴願前置の要件は充されたものとして司法救済が与えられた例がある。
相手方は抗告人のなした署名の効力決定に異議を申し出で、これに対する決定を受けて訴訟要件を具備したうえで訴訟を提起したものであるから、その訴訟においては当然署名の効力決定についての裁判がなされなければならず、原裁判所のいうような理由で右効力決定についての裁判をせずに抗告人に審査のやり直しをさせることはできない。このことは、署名に関する訴訟の本質を憲法第一五条、第九二条、第三二条および争訟の迅速性を要求する地方自治法第七四条の二の定めに照らしてとらえれば当然のことである。
また、相手方には右審査のやり直しを受ける実質的利益はなく、瑕疵ありと主張される異議決定によつて害されるおそれのある利益もない。すなわち、異議を棄却する決定は異議申出人の要求を拒否する性質を有するのみで、何等積極的内容を持つ処分ではないし、解職の本請求は異議決定の執行として行なわれるものではなく、有効署名数が法定署名数をこえるという事実に基づいて発生する効果にすぎず、賛否投票の結果として相手方が仮に失職したとしても、それは異議に対する抗告人の審査程度如何によるものではなくて、新たに行なわれた全選挙人の投票という意思表示の結果にほかならない。
別紙(二)
一、原決定は公務員の罷免権を定めた憲法第一五条、地方自治の基本原則を定めた同法第九二条に違反し、ひいては同法第九八条、第九九条に違反する。
憲法第一五条、第九二条の精神を受けた地方自治法は市長の直接解職制度を設け、その第七四条の二は右の精神を貫くための手続を定めたが、同条が一般行政事件に比して公正な審理を保障するための期間を制限し、控訴権をも否定するなどしたのは、署名の審査が後にひかえる解職賛否投票という決定的な手続のための前提であることと、公務員の罷免権および住民自治の本旨の速かな実現を図ることとによるものである。この意味で異議審査手続についての保障は右憲法の原則の前に後退させられるべきである。
ところが原裁判所は抗告人の審査手続上の瑕疵を理由として異議棄却決定は取消し、自らは署名の有無効を確定すべき義務を放棄し、結果としてこれを抗告人に差戻してやり直しを命ずるという独得の訴訟形態を認めた上で、有無効の確定しないものがあるために法定署名数を欠くに至るとの理由によつて、異議棄却決定を取消すべきものとした。これは無内容な手続のための手続をふませるものであつて、解職賛否投票という住民自治の本旨に従つた手続は一時的にもせよ制限し、迅速性を要求し控訴権をも否定した法の精神を没却するものである。
二、地方自治法第七四条の二第八項にる訴訟は、個々の署名の効力の確定を目的とするものであり、署名の効力に関する選挙管理委員会の決定に不服のある者にその不服の限りで出訴を認めるものであつて、異議審査手続についての不服の訴訟、つまり単なる異議権の保障のための取消訴訟はこれを認めない趣旨である。
同法第二五七条第二項によれば、選挙管理委員会が異議について決定しない場合には、実質審査の全くなされていないときでも訴訟を提起できるが、その訴訟は署名の効力を確定する訴訟であつて、異議棄却決定の取消訴訟ではあり得ない。つまりこの場合に審査や決定をやり直させる方法はない。これに対して本件のように審査も決定もなされている場合に改めて右のやり直しをさせるのは矛盾であり、著しく衡平を害する。
三、選挙管理委員会のなすべき審査の程度は、異議申出の理由と相対的な関係にある。また署名が偽筆や代筆であつても、本人に署名の意思があつて異議がない以上は、本人の署名と推定すべきである。抗告人のなした審査は相手方の異議申出の理由との関係では十分になされたものであり、有効署名数が法定数を下ることはない。原決定のいう有無効の確定しない署名について審査をやり直しても同様であり、したがつて賛否投票の結果を左右することもない。
四、本件本案訴訟の目的からすれば、本案判決においては署名の有無効が確定されるべきものであり、本件執行停止の申立が認容されるためには、有効署名数が地方自治法第八一条の法定有効数を下まわること、或いは爾後の本案訴訟の進行の結果下まわるおそれのあることの疎明されることを要する。原裁判所がこの点を認定せずに相手方の申立を容れたのは誤りである。
別紙(三)
一、抗告人は相手方からの異議申出に対して殆ど実質的審査をせず、行政不服審査法所定の手続を全く無視して異議申出棄却の決定をした。このような常識をこえた極めてずさんな市町村選挙管理委員会の決定があつた場合についてまで、裁判所が個々の署名の有無効の判断をしなければならないとは到底解されない。
(一) 地方自治法第七四条の二第八項は、その定める訴訟が明らかに抗告訴訟の形式をとることを予定している。最高裁判所もしばしば、主文において選挙管理委員会の決定を取消した原判決を維持し、とくに昭和三六年三月三〇日の判決(民集一五巻三号六二九頁以下)では、この訴訟には選挙管理委員会のなした決定の取消を求める類型のあることを明らかに是認している。
(二) 右法条に基づく訴訟においては、選挙管理委員会の決定の手続上の瑕疵が余りにも重大なため、裁判所が審理した結果署名の有無効を確定できない場合が当然予想される。この場合裁判所としては右決定を取消す以外に方途がない。抗告人は相手方の異議申出に対して決定をするにつき実質的審査をしなかつたにひとしいのであるから、その手続上の瑕疵は重大である。とくに 抗告人が相手方の申し出たすべての異議について未だ決定を下していないことは致命的である。抗告人は相手方からこの点を指摘されるや、解職賛否投票の告示をしたのちである昭和四七年一一月七日付の更正決定(疎乙第一四号証)を以て、異議の申出がなかつたものとみなして処理したが、相手方は抗告人に対し異議申出取下の意思表示をしていないので、更正決定をすべきではなく、決定の脱漏として追加決定をすべきであつた。抗告人が更正決定のような策を弄したのは、すべての異議について決定しなければ有効署名総数を告示できず、従つて爾後の手続を続行できないことを自ら認めているからである。
(三) 地方自治法の直接請求制度は、一般の行政争訟に比して審査および争訟手続を促進し一刻も早く地方自治に住民多数の意思を反映させるためのものであるが、法は他方この制度の濫用を防止し、これが徒らに政争の具に供せられないよう配慮をしているものである。同法第七四条の二第五項は審査の期限として一四日以内との定めをしているが、同時にこれは選挙管理委員会が公正、誠実な審査をすることを期待しているものである。実質的審査をしなかつたにひとしい本件のような場合にまで裁判所が逐一署名の有無効を判断すべきものとすれば、徒らに選挙管理委員会に怠慢の口実を与え、異議申出制度を認めた法の趣旨は全く没却される。極言すれば、右委員会が何等の審査をしなくとも形式的な決定さえすれば、あとは裁判所が個々の署名の有無効を判断してくれることになる。このような結果を招来する抗告人の見解は採用されるべきでない。
二、相手方の調査したところでは、抗告人が有効と決した署名中にかなりの数の無効なものがある。
(一) 本人の不知の間に署名簿に署名したように記載されているもの、何のための署名かわからない状態で代筆を頼んだもの等五六名。
(二) 本人の不知の間に署名したように記載されたのに加えて、本人以外の者の指印が押されているもの、代筆者の指印が押されているもの、その一部でも八名。
これらは昭和四七年一〇月二七、二八日の二日間に少数の者が手わけして面接回答を得たもので、時間と人手の極度に制限された状況の下での調査にもかかわらず、かなりの数の署名の無効が明らかになつたものである。
その他、請求代表者および受任者のいずれでもない者が署名を求めたもの、回覧による署名簿も少からず存在する。
三、以上の次第で、相手方の停止決定の申立を容れた原決定は正当であり、本件抗告は理由がない。